「俺は何をしたいんだ」時々こう考えることはないだろうか
先程,私は30分考えたが,答えを出せなかった
最近ではGoogle先生が優秀なので,そのまま「俺は何をしたいんだ」でググってみた
そこで見つけた記事を参考に自分なりに考えて,まとめていく
前置
まず,検索して各記事を読んで気づいたことがある
「俺は何をしたいんだ」が2パターンあることだ
- 自身の人生における転換点として
- 鬱などの状態で自問自答してしまうこととして
この2つだと思う
転換点
転換点としての「俺は何をしたいんだ」は
おそらく,現状が良くない状態で,それを良くしたい人が考えることではないだろうか?
例えば,夫婦関係が良くないとか,現在の仕事に不満があるとか
そういった場合であれば,まずは抽象的でいいので自分がどうなりたいかを考えると良い
おそらく多くの人が「幸せになりたい」と考えるのではないだろうか?
では,どうすれば幸せになれるのか,そこから具体的に掘り下げていけば
「俺は何をしたいんだ」の解と,今何をすべきかが見えてくると思う
ここらへんをしっかり考えて,明確化しておけば,今後の自分の重要な判断基準として定着していくはずだ
断捨離
私の話
ここから少し私の話になる
約1年ほど前に,私は「一人暮らしをしたい」と考えるようになった
今考えてみれば「俺は何をしたいんだ」の解としての,一つの行動だったと思う
このとき,私が捨てたものは「実家の環境」である
私の場合,この環境は食と住をタダで提供してくれる最強の環境だった
これを私は捨てた
しかし,それ以上に得たものもあった
少なくとも,人と会う回数が増え,その結果としてこのブログを開設することにも繋がった
現状,なにか大きな成果が出た訳ではないが,何かをしたいと考え,自分自身を変えるために,環境を変えたのはいい選択だったと思う
本題
本題の「俺は何をしたいんだ」に戻ろう
自身への問いかけで,自分がどうなりたいのか,何をしたいのか,そして今何をするべきか
これが見えた人が次にやることは,断捨離だと思う
私の話でもあったように,新しい環境がほしいから,これまでの環境を捨てることは,大変かもしれないが大事なことだと思う
もちろん,ここまで大きくなくても,小さいなことでも,何かを捨てることで,新しくやりたいことや,すべきことができるようになるんじゃないだろうか?
最近は物の断捨離が有名になってきているが,人生における物事の断捨離も大事だと私は言いたい
うつ状態
うつ状態での「俺は何をしたいんだ」という問は,十中八九不毛だ
私も過去にうつ病と診断されたことがあり,現在も少なからず引きずっている部分はあるが,「俺は何をしたいんだ」と考えても99%役に立たない
(1%くらいは転換点として,うつ状態からの突破口になるかもしれない)
もし,うつ状態で「俺は何をしたいんだ」と問うなら,それより先に「何をしたら楽しいのか」を探したほうがいいだろう
楽しい事ならなんだっていい(流石に犯罪はダメだが)
ゲームしたり,映画見たり,You Tubeをダラダラ視聴してもいいし
とにかく楽しいと思えることを見つけることが大事だ
もっと分かりやすく言うなら「新しい趣味の開拓をせよ」といった具合だ
なぜ楽しいことを見つけるのか
うつ状態になると,少なくとも普段の生活に楽しさを一切見いだせなくなる
その上,以前よりも趣味をしていて,楽しいと思う度合いもかなり低下する
だからまずは「楽しい」を見つけてからじゃないと「俺は何をしたいんだ」すら見えてこなくなる
楽しいことがなかなか見つけられないときもある
その場合は,やってて苦痛にならないことを探すのがいいだろう
実際私も,半年前に投資を始めて,楽しくはないが,全く苦痛ではないことに気がついた
スーパーやる気がないウィークでも株について軽く調べたりしていた
つまり,「楽しいこと」もしくは「全く苦痛にならないこと」を複数見つけてから,それらを軸に「俺は何をしたいんだ」と問えば,転換点としての問いかけになり,今後いい方向へ向かって行くのではないだろうか?
私自身の結論
私はまだ,うつを引きずっているので,「俺は何をしたいんだ」の問は不毛であることが分かった
その上で,何をしたいか,何をすべきか考えたとき
そこそこに投資を監視しつつ,やる気が出たら他のことに手を付ければいいじゃないか
となった
今はこれだけでも一歩前進できたと思うことにする